罪と罰

最近見た、映画の中で
罪を犯した者は、罰を受けなければならん。

その言葉が、やけに心に残っている。
自分の周りで起こる、不快な出来事は
なんらかしらの罰なのか?と、思ったりしてみると
あっ!?あの時にした事がまずく自分に
降りかかっていることなのか?とか・・・
そう、考える事により少しは、物事の
捉え方が変わってくるような気がするし、
細かい事も気になるようになる。
それに神経の使い方、もっと些細な事に
敏感に気が付ける様に。

と、もう一つ思う事。
人の意識、人材の育て方。
例えば、ミスをした人間がいる時、
ただ、ミスした人に対して、その場で
注意して、それを2度と無い様に!
何処でもある光景だとは、思います。
ミスに対して『まずい!』と言う意識があれば
まぁ、注意しなくても直そうとします。
でも、ミスしない人間など、この世にはいない。
人間は、ミスする生き物です。
ミスを何度も繰り返してしまう人もいるし
ミスをしたら、何とか次しないように注意を
払う人もいるし、他にも色々いると思います。
って事は、その仕事・作業に関わる人が
全く同じミスしないとは、限らない。
だから、例えばみんなが集まる時間があって
その中で、『こういうミスが起きました。』
って、言っただけで全員が、自分の事のように
受け止め注意を払えるようなクレバーな人間を
育てる事が出来る方法。。。
だけど、その中でも注意の仕方、度合い、
注意の仕方でも質があったり・・・中々難しい。
でも、一言で起きた問題に対し、携わる全員が意識を
あげてくれたら、どれだけの負担が減るのだろう。

それに日々の業務があったり、お客様の目の前
忙しい最中・・・その場面、場面で的確に起きた事に
対し、的確に指摘していくとなると、実は難しかったり。
一人のミスのようで、実は複数人が絡んでいる。
その人の能力以上で対応しなければいけない事が
同時に起きてしまった時の人の心理状態。。。あせっちゃったりね。
人間は、全く同じ考えの人はいないし、同じような精神力でもなければ
全てが異なる生き物。だけど、考えとか方向性は、近づけるものが
何処かにあるはずだから、それを同じ方向にあわせる事が
できたなら、クレバーな人材は自ずと育っていくのかなぁ。

それには、時間がかかりますがね。